「VANSのソールは吸盤だと思っていた」。90年代のスケートシーンを、手のひらに残す土屋敬志さん【MY AUTHENTIC】
DOORでは「MY AUTHENTIC(私の本物)」をキーワードに、2026年に創業60周年を迎えるに『ヴァンズ(VANS)』とともに、自分らしい価値観を持つ人たちにインタビュー。今回話を聞いたのは、美容師として父の代から続く店に立ちながら、町田スケートボード協会の会長としても活動し、スケートカルチャーを背景にしたコンクリートの造形作品を手がける土屋敬志さん。スケートシーンとともに駆け抜けた90年代、VANSとの出合い、そして、彼にとっての「MY AUTHENTIC」について聞きました。
「好きなものを“続けちゃってる”、“続けさせられてる”」
美容師/町田スケートボード協会会長/『Kokorozashi Concreate Vibes』アーティストという、いわゆる“3足のわらじ”を履いているという経歴についてお伺いすると、「意識的に“自分はアーティスト”とか、そういう価値観は全くないんですけど……」と土屋さんは、優しく笑う。

父の代から続く美容室を継ぎ、地元・町田でスケートボードパークをつくるために活動。そして、自分の中にあるスケートカルチャーの記憶を、コンクリートのフィギュアとして形にしている。
一見ばらばらに見える活動は、土屋さんの中では自然につながっている。
幼い頃から好きだったのは、絵を描くこと、そして、おもちゃやフィギュアの造形だった。キン消しのような小さな立体物を眺めては、平面ではなく、ものを“3D”で考える感覚が身についていった。
「物事を立体的に考えるっていうのが好きで。美容師という職業にもつながっているんでしょうね。牛歩ですけどね。すごいゆっくりだけど、自分の感じたものを形にできるように作り続けてます」
このフィギュアが、実にかっこいいのだ……。
物は、人の手に渡ってようやく価値になる
10代の頃から、土屋さんは自分の頭の中にあるものを形にしてきた。誰かの模写ではなく、自分の中にあるイメージを具現化すること。それは、発散のためのツールでもあった。
ただ、ある時期に考え方が変わった。きっかけは、ラジオ番組で聞いた「物って人の手に渡ってようやく価値になる」という話だった。
自分のためだけにつくるのではなく、誰かが共感できるもの、手に取って楽しくなれるものをつくりたい。そうして生まれたのが、コンクリートでできたミニチュアのプール「POOL BOWL」だった。

スケーターにとって、アメリカのプールは特別な場所だ。70年代、80年代のスケートボードカルチャーを象徴する存在であり、写真や映像で見たプールを、頭の中で滑ることができる人たちがいる。土屋さんは、そのイメージをコンクリートで形にした。
「アメリカのプールのリアルな素材で再現したくなって。点と点が線になった瞬間でもありました」
型をつくり、コンクリートを流し込む。素材としては無骨で、少し冷たくて、でも手に取ると不思議な愛嬌がある。
作品が誰かの手に渡り、反応が返ってくる。その瞬間、土屋さんは「できてよかった」と思った。同時に、作り続けていく責任のようなものも背負った。
90年代のスケートスポットを、手のひらに残す
土屋さんの作品には、スケートボードの記憶が詰まっている。
たとえば、サンフランシスコの有名スケートスポット・EMBを象徴する「Cブロック」をミニチュア化した作品。90年代にスケートしていた人なら、形を見ただけで反応してしまうような存在だ。

そのCブロックは、後に取り壊されることになった。土屋さんは以前からつくっていたその作品を、映像作家のジェイコブ・ローゼンバーグに渡す機会を得る。さらに、いつか届けたいと思っていたマイク・キャロルの手元にも渡ることになった。
「マイク・キャロルは、音楽界でいうマイケル・ジャクソンのような存在。“神中の神”で、一般庶民が何を渡しても届かないような人」
その作品は、マイク・キャロルや関係者のサイン入りで土屋さんのもとへ戻ってきた。さらに、取り壊されたCブロックの破片まで同封されていた。

知らない人からすれば、ただのレンガのかけらかもしれない。けれどスケーターにとっては、そこに誰が滑っていたのか、どんな時間が流れていたのかを想像できるものだ。
「この上を誰が滑ったんだろう……と、気持ちを馳せています。ビニールも外せないです(笑)」

土屋さんの造形は、単なるミニチュアではない。失われていくスポットやカルチャーの記憶を、手のひらの上に残すためのものでもある。
「ソールが吸盤だと思っていたんですよ」
90年代のスケートシーンを生きてきた土屋さんとVANSとの出合いは、土屋さんがスケートボードを始めた頃にさかのぼる。
当時見ていたスケートビデオや雑誌には、海外のカリスマスケーターたちがVANSを履いて登場していた。彼らは信じられないような動きでスケートボードを操り、軽々と飛んでいた。

土屋さんは、その理由が靴にあると思っていた……!
「VANSのソールって、吸盤になっていると思ってたんですよ。だから板がくっつくのかな、って」

そんな若かりし彼が初めて買ったのは、水色に白ラインが入った「ハイトップ」こと、スケートハイ<SK8-HI>。憧れのVANSを手に入れ、きっとこれで自分もスケボーで飛べると思いきや、履いてみても吸盤のようにくっつくわけではなく。そこから、スケボーを猛練習する日々が始まった。
VANSは、憧れの入口だった。
「あの人が履いているから、履きたい」。あの靴を履けば、自分も少し近づける気がする。土屋さんにとってVANSは、スケートボードカルチャーの扉を開くものだった。
1993年頃。当時の土屋さんが履いたVANS
土屋さんが見せてくれたのは、1993年頃に履いていたVANSのスケートシューズ サルマンアガー<Salman Agah>。

「ハードなイメージのスケートカルチャーに、このゾウのグラフィックが気に入っていて。こればかり履いていました」
今から30年以上も前のものだが、今も大事に保管されている。USメイドも、貴重。もう気軽には履けない。けれど、手元にあるだけで当時の空気が立ち上がってくる。

もう一足は、アメリカ生産からアジア生産へ切り替わっていく時期のモデルマイク・キャロル<MIKE CARROLL>。

土屋さんが特に好きだったのは、VANSのソール。
「ソールがVANSだったら最高、というくらいにグリップがすごい好きなんです」
スケーターにとって靴は消耗品だ。穴が開けば補修し、壊れればまた買う。どのスポーツよりも靴を替える頻度が高いかもしれない、と土屋さんは言う。
「今はもったいなくて、この2足はもう履けないですね。最近ファッション的に履くのは、VANSの中でも好きなモデル、チャッカ<CHUKKA>です。僕、好きなんですよね。かっこいいんですよね」

僕にとってのVANSのアイコン
土屋さんにとって、VANSを象徴する人がいる。
それは、海外のプロスケーターではなく、身近にいた先輩だった。土屋さんにスケートボードを教えてくれた人であり、生涯VANSを履き続けた人だったという。
「イーサン(石沢彰さん)は、僕の中でのVANSのカリスマなんです。その人が履いているから、自分もVANSを履く。地元の仲間たちも、同じようにVANSを選んでいました」

最後まで「VANS以外履かない」と言い続けていたその姿は、土屋さんの中に強く残っている。
「自分にとってここから先もずっと、多分VANSはこの人だなと思います」
ブランドそのものの歴史や、海外のスケートシーンへの憧れもある。けれど、土屋さんにとってのVANSは、身近な誰かの記憶と結びついている。
カルチャーは、遠い場所からだけ届くものではない。近くにいる誰かの履き方、遊び方、続け方によって、自分の中に根づいていく。
本物とは、初期衝動を大事にし続けられること
では、土屋さんにとって「本物」とは何なのか。少し考えたあと、土屋さんはこう話した。
「好きなことをずっと好きで生き続けられて、大事にできている。そういう初期衝動を本当に大事に、自分の中に保ち続けられていることだと思うんです」

最初に「かっこいい」と思った気持ち。自分もやってみたいと思った衝動。誰かの履いていた靴に憧れて、同じものを履きたくなる感覚。
それを、時間が経っても手放さないこと。土屋さんは、VANSのオーセンティック<AUTHENTIC>にも同じものを感じるという。最初につくられた靴が、今もなおVANSの名刺のような存在として残り続けていること。
「初期衝動で作ったものをずっと大事に、大事にして作り続けられて、VANSの名刺になるものを、今なお作り続けている。それって、最高なことですよね」
続けることは簡単ではない。作品を出せば、責任も生まれる。カルチャーを背負えば、続けていかなければならないという感覚も出てくる。
それでも、自分が感じたものを形にし続ける。自分を支えてくれる人を大事にする。ライフスタイルの中で大切にしていることを聞くと、土屋さんは「人を大事にすること」と答えた。
「もう本当に僕、生かされてるんで(笑)。自分が自分でいられるって、やっぱり周りの人のおかげだし、その分、その分周りの人を大事にしたい」
VANSという一足は、土屋さんにとって単なる靴ではない。憧れた映像、地元の先輩、90年代の空気、失われたスケートスポット、そして今も続いている自分の活動。
それらをつなぐ、記憶の入口だ。

本物とは、変わらないことではない。好きだった気持ちを、形を変えながらも持ち続けることなのかもしれない。


