ナイキあるある言いたい!レイザーラモンRGさんインタビュー「長い断絶と不遇の時代が僕をスニーカー大好き芸人にしてくれた」
「あるある言いたい」でおなじみの人気お笑い芸人、レイザーラモンRGさんは、同じものがなかなか登場しない「今日のスニーカー」をインスタグラムで公開するほどのスニーカーマニアでもある。しかし、小学生で目覚めたスニーカーへの熱い思いが爆発したのは今から数年前のこと。そこに至るまで抱き続けてきた『ナイキ(NIKE)』愛をたずねた。本人チョイスによる【歴代ナイキ“あるある”ベスト11】の付録付きインタビュー。
「エアマックスあるある言いた~い」スニーカーマニアに至るまでの道のり
某イベントのステージ上。お約束のネタを催促されると、素っ頓狂な選曲(ちなみに80年代のロックスターが集結した『We Are The World』)と結末を焦らされるいつもの展開の末、こんなオチを絞り出した。
「エアマックスの箱、積んでるとヘコみがち~」
例によって気持ちよく歌われた後となれば、意味不明なセリフでもつい笑ってしまうところにこのネタのブレなさがある。と同時に、これは実際に箱を積み上げた人なら深く頷くような「あるある」なのだろうと思う。オチを分析するなんて無粋だけれど。
スニーカー大好き芸人としても有名なレイザーラモンRGさん。現在のコレクション数はおよそ150足。約73,000人のフォロワーを持つ自身のインスタグラムでも、本日履くスニーカーの更新に余念がない。
しかし、レイザーラモンRGさんが自他ともに認めるマニアとなるまでには、本人曰く「長い断絶と不遇の時代」を要した。
「思い起こせば小学1年生の時、子供靴ではない、みんなと違うシューズを履きたがったところが出発点ですね」
小学生時代の趣味は、近所のスポーツ用品店巡り。新作スニーカーのチェックを欠かさなかったという。
「ゲームやフィギュアをねだるのではないから、親も多少は甘く見てくれましたが、おいそれと買ってはくれませんでした。だから見に行ったんです。小学4年生まで暮らした熊本では、地元にあったマルサスポーツに通い詰め、そこんちの娘さんに初恋です。足の速いかわいい子だった……」
初ナイキは小学5年生の時。当時のナイキは他のブランドより格段上の存在だと感じ、何より大事に履いたという。
「それを機会にブレイクできなかったのは、僕が住んでいたのが田舎だったことと、中高でバレーボール部に入ったせいです。その頃はナイキのバレーシューズが入ってこなかった」
それが最初のスニーカー断絶時代。しかし世間では漫画【スラムダンク】の影響でバッシュが大流行。さらに1992年のバルセロナの大会でアメリカがNBAプレーヤーばかりでドリームチームを結成すると、ナイキはスター選手が履くオリンピックモデルを続々リリースした。
「チャールズ・バークレーのエアフォース 180<AIR FORCE 180>! そのガンダムっぽい造形にやられました。僕を本気でスニーカー好きにさせてくれた最初の1足ですね。NBAも大好きでね。バレー部なのに『月刊バスケットボール』を愛読していたほどでした」
レイザーラモンRGさんが中学校へ入学した1987年にエアマックス 1<AIR MAX 1>が登場。高校生になった1990年には、その名を世界にしらしめたエアマックス 90<AIR MAX 90>が発売された。が、実物に触れる機会はゼロ。熊本から移り住んだ愛媛でもエアマックスを履いている人を見かけたことはなかったそうだ。
「社会現象になったエアマックス 95<AIR MAX 95>が出た時は京都の大学に通っていたんですが、そこでも見ませんでしたね。ホンマにそんな事件が起きているんかと、遠い世界の出来事のように感じていました」
貧乏だったという学生時代。そして芸人となって上京した下積み時代の約13年。その長い不遇時代を経て、ついにスニーカー好きが爆発したのはわずか3年前のことだった。
「もし小さい頃から東京にいたら、リアルタイムで追っかけられていたのにと、そこはずっと憧れでした。その反動なんでしょうね。それとナイキは、僕のようなマニアに応える形で歴代モデルの復刻版をたくさん発売してくれるんですよ。感謝してもし切れないくらいありがたい」
新作購入頻度はほぼ毎週1足。失った時間を取り戻すようにコレクションは増加。ただしその扱いは勢い任せではなく、聞いていて呆れるほどの愛情に満ちたものだ。
「僕は“履く派”なので、買ったらすぐに履きます。家に帰ったらまず汚れを落とし、一度履くと熱を持つので一晩寝かしてから箱に戻す。150足を年間ローテーションで回していますから、同じスニーカーを次に履けるのは半年後以降。そりゃもう大事にしますよ。その日何を履くかを考えるのが楽しくてね。朝起きて天気を調べ、天候や気温、どこに行くかで選びます。場合によっては1日3足履き替えるときもある。どうしても汚してしまいそうなロケ現場があれば、リュックに換えを詰め込んで出かけたり。そう言えば以前、地引網のロケで当時のマネージャーがエアマックス 90<AIR MAX 90>のコルクを履いてきて、そこにいる全員で網を引いてくれと言われたのに参加しなかったことがありました。砂で靴がダメになるから。その点はスニーカー好きとして気持ちが分かった。でも現場では皆から思いっ切り嫌われました(笑)」
スニーカーの話なら何時間でも飽きずに続けられるという。そしてまた自分の過去を振り返る時には、時代ごとのスニーカーが必ず寄り添うそうだ。
「買いに行くプロセス、注文したものが届いた喜び、箱を開ける瞬間のワクワク。人に見せたい衝動。いやもう、こんなに楽しいことは他にないですよ。僕のインスタは海外の有名DJやスニーカーフリークもチェックしてくれていて、何かの縁で会えると向こうから声をかけてくれたり。僕が海外に行っても道端で見知らぬ人に「ナイス!」って言ってもらえます。その度、スニーカーって世界共通の趣味なんだと感じますよ。服じゃないんですよね。スニーカーだからこそなんです。スニーカーで世界は平和になる。本気でそう思います」
期せずして飛び出したスニーカーによる『We Are The World』発言。いくらか大げさで素っ頓狂に思える発想も、レイザーラモンRGさんにとってはリアルな「あるある」なのだろう。それを元にした新ネタも見てみたい。
「実際にナイキの箱はちょっと弱くて、保管に気を遣うんですよ。自宅で積んでいる人にとっては間違いない『あるある』なんですけどねぇ」
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