「正しいことを、正しくやる。」長崎ヴェルカ・狩俣昌也の“長く戦う選手”のつくり方『僕をつくった、あの1足。』
Bリーガーの足元から、その人の原点や価値観をひもとく連載企画。今回登場するのは、長崎ヴェルカの狩俣昌也選手。選んだシューズは、『ナイキ(NIKE)』のエアフォース1<AIR FORCE 1>だった。
スニーカーとしては、あまりにも王道。けれど、狩俣選手の話を聞いていると、この1足はただの定番ではなくなる。
シンプルで、飽きがこない。
何にでも合う。
派手に自己主張しすぎないのに、ちゃんと存在感がある。
そして、何年経っても色褪せない。
その特徴は、どこか今の狩俣選手自身にも重なっていた。
今シーズン、チームで担っている役割を聞くと、返ってきたのは印象的な言葉だった。
「正しいことを正しくやる」。
目立つプレーでも、派手な言葉でもない。けれど、チームが勝つためには誰かが必ずやらなければいけないこと。その基準を、自分が体現し続けること。最年長の選手として、その責任を引き受けている。
派手さよりも基準をつくることが役割に
長崎ヴェルカは今シーズン、昨季からの継続と新加入選手の融合がうまく進み、特別なシーズンを送っている。その中で狩俣選手が大事にしてきたのは、コーチの考え方をチームに浸透させることだった。
「去年は、コーチと選手が共有するまでに少し時間がかかった感覚がありました。だから今季は、新しく入ってきた選手が多い中でも、去年からいる選手たちがまず表現することが大事だと思っていました」

その表現の方法は、言葉よりもまずプレーだという。たとえばディフェンスからオフェンスへ切り替わる瞬間、誰よりも速く走ること。チーム内ではそれを“ボルトする”と呼ぶらしい。ボールを奪った瞬間、ウサイン・ボルトのように全速力で前へ走る。たったそれだけに見えるが、その細部こそがチームの精度を決める。
リバウンドも同じだ。ただ跳んで取りにいくのではなく、相手にコンタクトし、状況を見て、正しい順番で奪いにいく。そうした“約束事を、気持ちを乗せてやり切ること”こそ、自分が見せ続けるべきものだと狩俣選手は考えている。
ベテラン選手がそこまでやる。それが、そのままチームの当たり前になっていく。
「周りがどうとか関係なく、自分がコートに出た時は、そこをやり続ける」
派手なスターではないかもしれない。でも、こういう選手がいるチームは強い。むしろ、こういう選手がいなければ強いチームは成り立たない。
言いすぎないこともベテランの仕事
意外だったのは、コミュニケーションについての考え方だった。狩俣選手は最年長としてチームを支える立場にあるが、常に自分が前に出て話すわけではない。今のチームにはよく話す選手が多く、とくに外国籍選手は練習中もミーティング中も積極的に意見を出す。その空気を、むしろ大事にしているという。
「僕はなるべく入らないようにしています。下の選手が言いにくくならないように、聞く側に回ることが多いですね。本当にチームが良くない方向に行きそうな時だけ、喋ろう、という感じです」

ここにも、狩俣選手らしさがある。ベテランがいつも正解を言ってしまうと、若手や周囲の選手が育たない。のびのびとプレーできる余白を残しながら、必要な時だけ軌道修正する。その距離感は、経験のない人にはなかなか持てないものだ。
正しいことを押しつけるのではなく、自分がやって見せる。必要以上に支配せず、でも放置もしない。エアフォース1のシンプルな強さにも、どこか似ている。
エアフォース1は“オシャレの入口”
今回選んだのは、ナイキのエアフォース1。理由を聞くと、狩俣選手は「完全にデザインですね」と答えた。
大学時代、オシャレな先輩に「何かいいスニーカーありませんか」と聞いた時、返ってきたのが「とりあえずエアフォース1買っとけば、何にでも合うよ」という言葉だった。それが最初の出会いだったという。

当時、その先輩は雑誌のスナップにも載るような存在だったらしい。そういう人がすすめる1足だから、間違いないと思えたのだろう。実際に履いてみると、エアフォース1は本当に何にでも合った。シンプルなのに、形が強い。ごつさもあるのに、古く見えない。発売から長い時間が経っても、デザインが色褪せない。
「40年くらい前のモデルなのに、今見てもすごいなと思います」

王道すぎるくらい王道。でも、それを“いまもいい”と思えることが大事なのだと思う。流行りものを追うのではなく、長く残るものをちゃんと選べること。狩俣選手が4足目のエアフォース1を履いているのも、きっとその感覚ゆえだ。
宮古島では、釣りかバスケか。それだけだった
狩俣選手の原風景は、沖縄・宮古島にある。中学までは宮古島で過ごし、釣りをするか、バスケをするか。そのどちらかしかなかったという。
そんな少年時代のプレースタイルは、今とはかなり違った。もっとトリッキーで、もっと遊び心があった。ジェイソン・ウィリアムズに憧れ、試合で股抜きや派手なドリブルをやってしまうような小学生だったらしい。その話は、今の堅実なプレースタイルからは少し意外に聞こえる。だが、狩俣選手自身は、その変化を“諦めた”とは捉えていない。
高校以降、少しずつプレーは変わっていった。外のシュートを武器にしながら、より堅実に、より勝てる形へ。決定的だったのは、三河で過ごした時間だったという。そこには、自分よりスペシャルな選手が何人もいた。同じ勝負をしたら勝てない。ならば、自分がプロとして生き残るためにはどこで勝負するべきか。現実を見て、自分の強みを再設計した。
「このスタイルだったら勝負できるかもしれない、というのが見えたんです」

プレースタイルを変えたというより、武器を増やした。感覚だけに頼るのではなく、コーチやチームに応じて役割を変えられる柔軟さを手に入れた。狩俣選手は、それを自分の強みのひとつだと考えている。
この視点は重要だ。若い頃の自分らしさに固執しすぎると、人は伸びなくなる。でも狩俣選手は、自分らしさを捨てるのではなく、勝てる形へ翻訳し直してきた。
チャンスは自分で取りにいくもの
大学進学後も、最初からプロ一本に振り切れていたわけではない。むしろ、大学に入るタイミングでは、バスケットを続けるかどうかを悩んでいたという。沖縄から関東の大学へ進んだのも、何かしらのきっかけがあるかもしれないと思ったから。だが、実際に行ってみると、思い描いていた“関東”とは少し違っていた。大学は千葉のかなり端のほうにあり、華やかな世界がすぐそこにあるわけではなかった。
それでも、大学2〜3年の頃に転機が来る。bjリーグの試合を有明で見た時、「やっぱりプロバスケット選手になろう」と決めたのだ。そこからの動きが、狩俣選手らしい。コネがない。大学は3部。待っていても何も起きない。ならば、自分から動くしかない。
千葉で一番強いクラブチームを探し、つながりをたどり、練習参加をお願いする。そこからスクールや現場との接点が生まれ、トライアウトと並行しながら道を切り拓いていった。後に千葉ジェッツへつながるきっかけも、そこから生まれている。

才能だけで道が開けたわけではない。視界の中にあるチャンスを、自分で取りに行った。この能動性は、10代や20代の読者にとってかなり重要な示唆になるはずだ。
10代の自分に言うなら、「もっと外を見てよかった」
狩俣選手は、自分の10代を振り返って「後悔はない」と前置きしたうえで、それでももう少し視野を広げられたかもしれない、と話した。
宮古島から沖縄本島へ。当時は、そのルートが自然だった。だが今は、沖縄から福岡へ、さらに海外へと挑戦する選手も増えている。
「もっと自分も外に目を向けられたんじゃないかなと思います。県外でも良かったかもしれないし、アメリカを見るという選択肢もあったかもしれない」
これは、昔の自分を責める言葉ではない。今だからこそ見える、可能性の話だ。若い頃は、自分で思っている以上に守られている。身軽で、失うものも少なく、視線ひとつで未来が変わる時期でもある。だからこそ、自分で枠を決めすぎないほうがいい。
「今の方が情報もあるし、言葉の壁も前より低い。だから、本人がどこを見るか次第で可能性はいくらでもあると思います」
狩俣選手の言葉は、根拠のない精神論ではない。自分自身が、もう一歩外へ行く選択肢を持てたかもしれないと振り返っているからこそ、そこに重みがある。
若かりしころ自分の隣にずっといた音楽
高校から大学にかけての当時、狩俣選手がよく聴いていたのはRADWIMPSだった。
「めっちゃ女々しい歌を聴いてました」
と振り返る口ぶりもどこか楽しそうで、当時の自分を少し俯瞰しながら、それでも嫌いじゃない感じが伝わってくる。好きだった曲は「狭心症」。歌詞の意味を完全にわかっていたわけじゃない。それでも、何度も聴いてしまう曲には、ちゃんと理由にならない理由がある。
友人とアルバムを貸し借りし、MDに入れて持ち歩いていたという記憶も含め、RADWIMPSは狩俣選手にとって“勝負前の一曲”というより、“あの頃の自分の隣にずっといた音楽”だった。
色褪せないものを選べる人は強い
エアフォース1は、流行のど真ん中にいるスニーカーではないかもしれない。でも、ずっと残る。そして、履く人の年齢やスタイルが変わっても、ちゃんとついてくる。
狩俣昌也という選手も、少し似ている。派手なだけではない。でも、チームにとって欠かせない。自分の強みを理解し、役割に応じて変わり続け、それでも芯はぶらさない。
「正しいことを正しくやる」という言葉は、簡単そうでいて、実はかなり難しい。近道をしたくなる日もあるし、自分だけ違うことをやりたくなる時もある。それでも毎日、同じ基準を守り続ける。その積み重ねが、長く戦う選手をつくるのだと思う。

若い頃はもっとトリッキーだった。もっと自由だった。でもそこから現実を知り、自分に必要なものを足し、勝てる形へと変わっていった。その変化は、妥協ではない。進化だ。
ナイキのエアフォース1が40年以上愛される理由も、たぶん同じ。余計なものを足しすぎず、本質が強い。だから、いつの時代にも残る。
狩俣選手のキャリアは、そんな“色褪せない強さ”を静かに教えてくれる。



