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生誕30周年記念。『東京スニーカー史』の著者、小澤匡行さんの「極私的エアマックス史観」

2017.3.25
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生誕30周年記念。『東京スニーカー史』の著者、小澤匡行さんの「極私的エアマックス史観」

2017.03.25

『NIKE(ナイキ)』のエアマックス生誕30周年を記念する日AIR MAX DAY。そのスペシャルな日に向けて、前回90年代スニーカーブームについて語っていただいた小澤匡行さんにエアマックスのこれまでの歴史やムーブメントを、個人的見解を含め、紐解いてもらった。

生誕30周年記念。『東京スニーカー史』の著者、小澤匡行さんの「極私的エアマックス史観」

小澤匡行さん

エアマックスの個人的な興味は、ナイキエアという独自のテクノロジーをアップデートしてきた軸によって過去のモデルを体系化できる点に尽きます。クルマのモデルチェンジやコンピュータのOSアップデートに似ているんですよね。
そしてまたエアマックスは現在も進化中ですから、歴代モデルのどこから個々の人生とリンクしているかで世代別の楽しみ方が違ってくるところもおもしろい。

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小澤匡行 おざわ・まさゆき
1978年生まれ、千葉県出身。大学在学中に1年間のアメリカ留学を経て2001年より雑誌『Boon』にてライター業をスタート。現在は編集・ライターとして雑誌やカタログなどで活動中。2016年に『東京スニーカー史』(立東舎)を上梓。Instagram:@moremix

30年前の日本では、エアマックスもNIKEも今ほど知られてはいなかった。

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AIR MAX1
最初のエアマックス、AIR MAX 1<エア マックス 1>が誕生したのは1987年です。僕は当時8歳だったので、もちろんその存在を知りませんでした。ただ、思い返すとテレビのチャンネルがリモコン式になったりして、ごく普通の家庭でもテクノロジーの進化が顕著になり始めた頃なんですね。
そんな時代に登場したAIR MAX 1が画期的だったのは、機能の視覚化でした。文字通りエアを利用したクッショニングシステムのナイキエアが登場したのは1979年。その機能形態を小窓で見せたのがAIR MAX 1です。

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クッショニングシステム、ナイキエア

運動自体の楽しみ方も変わり始めた時代でした。エアロビやフィットネスの流行を受け、トレーニングブームが起こり、NIKEとしても時代をリードするモデルを作りたかったのだと思います。
その時点でのポイントは、NIKEは生粋のスポーツブランドだったということ。そして日本では、エアマックスもNIKE自体も、今ほど知られてはいませんでした。

世界陸上の選手が履くエアマックスがカッコよかった!

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AIR MAX 180 OG

中学生となり陸上競技とバスケットボールを始めた僕にとってのNIKEは、完全にスポーツ専用ギアでした。そこで紹介したいのが、1991年のAIR 180<エア 180>です。発表時点ではエアマックスシリーズ外でしたが、OG(オリジナルカラー)復刻に伴ってAIR MAX 180 OG<エア マックス 180 OG>に名称変更されました。こういうパターンはよくあります。

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180 AIR

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NIKE INTERNATIONAL

注目はインソール。NIKE INTERNATIONALのマークがプリントされました。これは、それまでアメリカの国内選手を中心にしたサポート体制を世界各国の一流アスリートまで広げるという、1989年に発表されたNIKEのグローバル戦略の旗頭です。
1991年は東京で世界陸上が行われた年です。カール・ルイスの活躍をテレビにかじりついて見ていました。選手村リポートなんかもあって、そこに映る選手がいろいろなエアマックスを履いていたのがすごく印象的でした。

部活で擦り込まれたテクノロジーの進化

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AIR MAX 93

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中学、高校時代で思い出深いのが1993年のAIR MAX 93<エア マックス 93>と1994年のAIR MAX 2<エア マックス スクエア>です。AIR MAX 93は、エア部分が270度見渡せる進化を遂げただけではなく、足首に伸びるシュータンとアッパーを一体化させたハラチフィットを投入した初のエアマックスです。AIR MAX 2はそのさらに進化版ですが、ハラチフィットに新機軸のマルチチャンバーエアを投入するという驚きのモデルでした。

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AIR MAX 2
生誕30周年記念。『東京スニーカー史』の著者、小澤匡行さんの「極私的エアマックス史観」
マルチチャンバーエアとは、要するに気圧が異なる2つの空気室を設けた機構です。その空気室が四室なので、AIR MAX 2の2はスクエアと読みます。今でも空でマルチチャンバーエアの図面を描けます。『陸上競技マガジン』に掲載されたNIKEの広告や特集記事を読み込みましたから。この時代、NIKEはスポーツ専門誌に情報供給を特化させていました。
AIR MAX 2は、僕が初めて買ったエアマックスです。陸上部でトレーニング用として履き分けていました。ちなみに中学時代のバッシュはAIR FLIGHT HUARACHE<エア フライト ハラチ>。ハラチフィットは本当に履き心地が良くて、それは完全な刷り込みになりました。

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AIR MAX 93とAIR MAX 2のエアの違いを描く

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昔の『陸上競技マガジン』

複合的な要素が絡んで起きた前例なきAIR MAX 95騒動

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AIR MAX 95

そしてご存知のAIR MAX 95<エア マックス 95>が登場します。あの騒動は、人によって受け止め方がまちまちです。その辺を調査・検証したくて2016年に『東京スニーカー史』を出版したところもあります。まぁ、僕にとっては部室で盗まれた初のスニーカーになりましたが……。
最初、スポーツ系の人々はほとんど履いていませんでした。というのは、シリアスランナーがシューズを買いに行くスポーツ用品店が「こんなの売れない」と入荷を控えたからです。それまでのエアマックスとは全く異なる奇抜なデザインだし、スウッシュもないからランナーには受け入られないんじゃないかと。けれどファッション系の人たちの目には留まった。それをストリート系マガジンの『Boon』が追いかけた。さらにはNBAでマイケル・ジョーダンが大活躍し、NIKE自体の注目度がかつてないほど高まっていた。莫大な人気を誇る多くの著名人達が履いていたりと、いくつもの要素が複合的に絡んで異様な状況が起きました。
やがてAIR MAX 95の国内在庫が底を突きます。すると、アメリカにはまだあるぞとバイヤーさんが並行輸入をしたり、個人が買い付けに行ったり。フリマで2万5000円くらいで出たものを業者が買って4万円の値を付け、それがまた転売されていつしか数十万円になり。まさしくエアマックスバブルでした。前例のない事態だから、なかなか収拾がつかなかったんです。

90年代半ばのNIKEって何を考えていたんだろう?

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AIR TOTAL MAX

この異常な時期にユニークだったのは、1996年に発売されたAIR TOTAL MAX<エア トータル マックス>です。黒のレザーって、トレーニング向けとしてはあり得ない仕様ですから、何を考えていたんだろうと思うんです。企画段階では日本での特別なブームなど予想できなかったはずだから、あるいはNIKEはAIR MAX 95あたりからファッションへの意識を強める方針だったのかもしれません。いずれにしてもAIR MAX 95は、NIKEはもちろんスポーツブランドの在り様を大きく変えたモデルだと思います。

目指していたのは360度のエア化

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AIR MAX PLUS

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そうした日本の事情とは関係なく、エアマックスはさらに進化を続けます。NIKEが目指していたのは、エアソールを360度ビジブル化することでした。2006年に発売されたAIR MAX 360<エア マックス 360>でついに悲願を達成しますが、その前段階では実験的なモデルがいくつか登場しました。
1998年のAIR MAX PLUS<エア マックス プラス>は、部分的に半球状サスペンションを内蔵したチューンドエアというソールを採用。2003年のAIR MAX 2003<エア マックス 2003>は、ソールの大半を占めたエアシステムをケージで覆う形を取っていました。

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AIR MAX 2003

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AIR MAX 2003が出た頃、僕はすでに『Boon』で働いていて、このシューズのスッキリしたデザインをすごく気に入っていました。でも、周囲にはウケませんでしたね。

エアマックスのカルチャーを面白がる時代になった

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AIR MAX 95 PROTOTYPE

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最後にもう1足。東京・上野を拠点にするミタスニカーズというショップが2013年にNIKEとコラボしたAIR MAX 95 PROTOTYPE<エア マックス 95 プロトタイプ>は、初期のデザインスケッチで描かれたAIR MAX 95のシュータン部分がブラックだったデザインを忠実に再現した復刻モデルです。これはエアの進化とは別次元の話です。カルチャーとして何を面白がるかというのは、現在のエアマックスの特徴と言えます。
30周年記念で3月に発売されたAIR MAX 1も、これまで何度か復刻されたものの中から、もっとも優れていると評価された2000年代前半のシェイプを採用しました。そうした小ネタ拾いも、ある意味で体系化できるエアマックスだからこその楽しみです。

履いてこそ魅力がわかるスニーカー、エアマックス

生誕30周年記念。『東京スニーカー史』の著者、小澤匡行さんの「極私的エアマックス史観」
僕は、エア マックス30年の歴史のほとんどをリアルタイムで過ごしてきました。その入口は、陸上競技やバスケットボールというスポーツをDOするためでした。なので、テクノロジーの進化というものを実感できたのは貴重な経験と言えます。でも、若い人にすれば昔の話をされても困るでしょうね。現在はあらゆるデフォルトが良いから、履き心地の進化の過程を体験すること自体が昔よりも難しくなっているかもしれません。
若い人たちには、入口は何であれ、いろんなエア マックスを実際に履いて、それぞれの良さを体感してほしいです。このスニーカーは、履いてこそその魅力が分かります。AIR MAX 95でジョグするとか、ジムで走ってみるとか、ファッションとDOをミックスさせるのもアリだと思いますよ。

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