ナイキが払い続けたマイケル・ジョーダンの罰金! NBAで禁止された赤×黒シューズに毎試合5000ドル(約40万円)も
バスケットの神様とも言われるマイケル・ジョーダン(以下ジョーダン)。そのジャンプの高さや滞空時間の長さは、他の選手を圧倒。現役時代の15年間の選手生活で得点王に輝くこと10回、平均得点は30.12点。そして、通算得点は32,292点にもなります。今回は、そんなジョーダンと『ナイキ(NIKE)』の関係について探ってみました。
ジョーダンの足もとにはいつもナイキのシューズ
1991年、92年、93年と所属したシカゴ・ブルズ(以下ブルズ)をNBAファイナル優勝に導いたジョーダンですが、その後、突如引退宣言。1年間バスケットを辞めることに。しかし、再度、ブルズに戻ってからは、96、97、98年と優勝。99年には二度目の引退をしますが、2001年からワシントン・ウィザーズでプレーしました。
1984年のロサンゼルス大会と、1992年のバルセロナ大会に参加。当時、ドリームチームと呼ばれたアメリカ代表の一員として、両大会で金メダルを獲得したのです。多くの試合で輝きを見せたジョーダンの足元には、いつもあのシューズがありました。
ジョーダンのバスケットボールシューズといえば、ナイキがすぐに思い出されます。今でも、ストリートカルチャーの中で、エアジョーダン<AIR JORDAN>は特別な存在であり続けています。
デビュー当初のジョーダンは、さほど注目される選手ではありませんでした。しかし、84年のロサンゼルスでの国際大会で優勝すると、ナイキはジョーダンと大型提携を結ぶのです。なんと、5年間で約2億円の契約。これは当時でも破格の金額です。ナイキにとっても、本気の契約で、ジョーダンに会社の未来を託すような勢いでした。
アディダス好きだったジョーダンをナイキ好きするために
実は、当時のジョーダンは“アディダス(adidas)好き”だったことが、ファンの中では知られています。それも、“アディダス・ナッツ(アディダス信者)”というほどのアディダス好き。
そんな彼にナイキに関心を持たせるために、ナイキは特別なシューズ・ウェアの制作を約束しました。そこで登場したのが、『エアジョーダン』なのです。同シューズといえば、何を思い出しますか? そうです、あの赤と黒のブルズカラー。
当時のNBAのユニフォーム規則では、白以外のシューズは認められておりませんでした。『ユニフォーム統一性に関する規約』です。しかし、ナイキが仕掛けたのは、この規約を逆手にとったプロモーションです。
「NBAがこのシューズの着用を認めなくても、諸君の着用を止めることはできない」という反骨精神を表に出しました。
書籍『スニーカー文化論』ではこう紹介されています。
履いた場合は毎試合5000ドル(約40万円)の罰金が課せられることになっていたが、この規則を無視してジョーダンはシリーズの赤黒のスニーカーを履き続けて話題になった。
ナイキはこの大きな宣伝効果を活用し、ジョーダンのルーキー時代の罰金をすべて支払ったと言われている。彼が履いた黒と赤の組み合わせのスニーカーは、『Banned(禁じられた)』というニックネームが付いたほどだ。規則違反にもかかわらず、それを履き続けたジョーダンの反骨精神に、アメリカの青少年たちがさらに魅了された
その後の、ジョーダンの活躍とともに、同シューズはヒット作となりました。履き続けたジョーダンも凄いですし、罰金を払い続けたナイキも凄いですね。これはファンの心を掴みますよね。今の時代ですと、コンプライアンスの問題などがあり、こういったプロモーションは難しいかもしれませんので、まさに伝説のような話です。
マニアをくすぐる各スニーカーのニックネーム
同シューズは発売以降、復刻版を含め同じデザインのものを複数回リリースしています。リリースされる年とデザインで区別されることが多いのですが、色の組み合わせがいくつもあったりするのが特徴。
そして、各スニーカーにはニックネームがあることを同書で紹介しています。
ベテランコレクターたちは、そのニックネームを把握していて、どのスニーカーを指しているのか、すぐにわかる。たとえば、エアジョーダン5は通称『ザ・ファイター』、エアジョーダン9は『パーフェクト・ハーモニー』、エアジョーダン18は『ラストダンス』
こういったニックネームが付けられながら、同シューズは愛され続けているんですね。
ジョーダンを取り巻く、ナイキやシューズやファンたちが、あの熱いプレーを支えていたと言えるでしょう。当時のマイケル・ジョーダンのプレイを思い出し、久しぶりにバスケットボールに触れてみたい気分になってきました。