
転機をチャンスに!ものづくりに向き合う山暮らしと、ナイキのランニングシューズ【サンゾクプロダクツ・中西賢二】
英語で交差点を意味する「CROSSROAD」。
様々な分野で一直線に邁進するプレイヤーの「ターニングポイント」を振り返る本企画。そのポイントの以前・以後では何が変わったか。そして、変わらずに足元を支えていた“相棒”とも言えるシューズについて語る。
突然の解雇。所持金5万円からものづくりの夢へ
今回登場するのは、サンゾクプロダクツの中西賢二さん。中西さんは、長野県を拠点に、山と暮らしに寄り添う木工を手がけるクラフト作家。その静かでたしかな手仕事の背景には、山との出会いと大きな決断があった。
中西賢二さんは、岐阜県川辺町の出身。町には飛騨川が流れ、背後には低山が連なっている。かつては「何もない田舎」だと思っていたその風景が、今では彼の創作の原風景となっている。
「実家が製材所を営んでいて、小さい頃は木の端材でペーパーナイフを作って遊んでました。道具を手にして物をつくるのが、自然と好きだったんだと思います」
ものづくりへの興味を抱きながらも、大学進学時は名古屋の名城大学経済学部へ。テニスに明け暮れ、社会人になってからもプレーを続けるなど、当初はものづくりを職業とする意識はなかった。
「本当は高山の専門学校に行こうか迷ってたんです。でも、産業として成り立たせるには厳しいと聞いて、それなら大学に行こうって。その時は“好き”だけじゃ続けられないと思ってました」
人生が大きく動き始めたのは、登山との出会いだった。社会人として製造業に従事しながらも、地元のジュニアテニスクラブのコーチをしていた頃、気分転換で訪れた上高地にて登った北アルプスの山中で、彼は自然に魅せられた。
「装備も経験もないまま登った蝶ヶ岳で、絶景を目の前にしたとき、“これはもう、ハマるな”と思いました。そこから毎週のように山に通うようになりました」
半分キャンプ感覚で登山をしていたため「山でも温かみある木の食器でご飯を食べたい」という思いが芽生え、自分用の木製のテーブルや器を作るようになる。手元にあったのは、かつて道具を集めていた頃に買い集めた中古の鉋や鑿だった。
「最初は趣味でしたね。1週間かけてテーブル1つを仕上げる感じでした。でも、やってるうちに“これを仕事にしたい”って気持ちが強くなってきたんです」
それでも、仕事として踏み出す決断には至らなかった。転機が訪れたのは、勤めていた会社を突然解雇されたことだった。残ったのは、わずか5万円の所持金だけ。普通なら、そこで夢を諦めるか、堅実な道を選ぶかだろう。
「正直、めちゃくちゃな状況でした。でも、逆にもう“始めるしかない”って思ったんです。道具も場所もないから、街中を歩いてるおじいちゃんに声をかけて、“プレハブ使わせてくれませんか”って頼んだり、そんな手段も駆使して活動場所を探しました。運良く場所が見つかったんです」
そのとき彼を支えたのは、「木が好きだ」という変わらない思いだった。失業保険を元手に最低限の機材を揃え、生活の場をトランクルームの隣室に移した。湿気と寒さで除湿機が凍るような“廃墟”での暮らしの中、彼のものづくりは静かに始まった。
「最初に出展したのは、長野市の『YAMASAI』というイベントでした。そこから人の縁で東京・吉祥寺のお店が声をかけてくれて、そこ経由で大型イベント『FIELDSTYLE(フィールドスタイル)』にも出られるようになって。営業は全然してないんですけど、人との縁で広がっていきました」
登山者向けに製作した木の器やお椀は、OD缶やクッカーにぴったり収まるサイズ感に設計されている。「軽さ」よりも「丈夫さ」を重視し、山でも日常でも長く使える道具としての美しさを宿している。
「山の上で景色を眺めながら食事を楽しみたい。そんな思いが、僕のものづくりの根っこにあるんだと思います」
自然のルールと共に生きる。装備のこだわり
木工職人として暮らす中西さんは、長野の山あいで静かに作業に向き合う日々を送っている。自然に囲まれた環境で、制作と生活の境界線はほとんど存在しない。その暮らしの中には、ひとつのスニーカーとこだわりの装備が密かに寄り添っていた。
「木工の仕事って、意外と身体を動かさないんです。だから時々ランニングをしています。履くのはNIKE(ナイキ)のフライニット素材を採用したランニングシューズ。クッション性がしっかりあって、通気性も良い。膝を痛めてるので、地面からの衝撃をやわらげてくれるのが嬉しくて」
選んだのは、足の形に柔軟にフィットする軽量なモデル。道具としての性能が、自分の身体感覚に合っていた。その感覚は、自然との向き合い方にも通じている。
中西さんの暮らしの舞台は、標高の高いエリアにある。周囲に舗装された道路は少なく、時折ランニングをすれば、イノシシと鉢合わせすることもしばしばだという。だが、それもまた日常の一部になっている。
「熊にも一度だけ、八ヶ岳で出くわしました。道の先でガサッと音がして、白いものが動いていたんです。おじいさんかと思って『こんにちは』と声をかけたら、ツキノワクマが顔を出して……。5メートルも離れていなかったです」
互いに動けなくなったその距離で、2時間にわたってにらみ合いが続いたという。驚かせないようにと、ストックを広げ、自分を大きく見せながらじっと待つ。クマが山頂へ向けて動き出したとき、ようやくその場を離れることができた。
「怖かったけど、不思議と冷静でした。とにかく動かないことが一番だと思ってましたね。あのときの緊張感は今も忘れられません」
山の中に暮らすということは、日々の静けさと引き換えに、常に自然の“ルール”と共に生きるということでもある。木工の制作は、山の空気や四季の変化と密接につながっている。
普段の作業では、粉塵やヤケが多いため、着るものにも工夫が必要になる。中綿入り防寒着を愛用し、登山用には中古のパタゴニアをそろえている。機能と耐久性が最優先だ。
「夜はYouTubeで廃墟リノベーションとか、木工の調べ物を見たりしています。あとは“黒部の山賊”っていう本が好きで、冬山装備での風貌もあって、そう呼ばれることが増えたんです」
偶然の連続で、「山賊」の名を持つ実在の人物と出会い、自作の木工品を山小屋に置いてもらえることにもなった。山と人とをつなぐ不思議な縁が、中西さんの生活を形作っていく。
「全部、人のつながりなんです。自分から名乗り出るというより、山で出会った誰かが次の誰かへつないでくれる。その流れの中に、自分の仕事や暮らしが少しずつ根付いていくのが理想だと思ってます」
木と対話しながら、静かな山での暮らしを続ける。舗装された道を離れ、森の中を抜ける一歩一歩が、中西さんにとっての“人生の整え方”なのかもしれない。