サハラ、マダガスカル……200km以上の『砂漠レース』に挑戦する女性会社員の本音
マラソン大国の日本には、様々なレースが存在します。ハーフマラソン、フルマラソン、ウルトラマラソン、トレイルレース……etc。さらに海を越えれば、その土地ならではのコースを使った過酷なレースがいくつも存在します。今回インタビューに応じていただいたのは、『マダガスカル250km』『サハラレース ナミビア250km』など、数々の海外レースを走破してきた井土真希さん。彼女はなぜ、あえて過酷なレースに身を投じるのか。その理由を語ってくれました。
井土真希 いづち・まき
1975年生まれ、大阪市出身。2008年に会社のチームで参加した『Oxfam Trail Walker 100km』をきっかけに、登山、マラソンを始めるようになる。その後どんどんと距離を延ばしていき、2011年にはモロッコで開催された『サハラマラソン(230㎞/7日間)』に出場。その後、計4回も砂漠レースに出場し、2014年の『マダガスカル250km』では見事優勝。普段は国内のトレイルレースを主戦場としながら、国外のレースにも出場している。
命の危険がないから安全!? 過酷な砂漠レースを4度走破
井土真希さんは、過去に4回も海外の砂漠レースを走破してきた女性ランナーです。2011年にモロッコで開催された『サハラマラソン(230km/7日間)』で、初めて砂漠レースに出場し、翌年も同レースに出場。2014年の『マダガスカル250km(6日間)』では、優勝という快挙を達成。そして、2016年は『サハラレース ナミビア250km(7日間)』に出場して4位の成績を収めました。マダガスカルとナミビアのレースは『NHK Great Race』でテレビ放送されたので、ご覧になった方もいるかもしれません。
「砂漠レースはお金がかかるので、2年に1回くらいのペースです。過去には4回出ていますが、メインはトレイルレースの方が多いかな。砂漠の方は4回出ておなかいっぱいですね(笑)」
砂漠レースは基本的に6日間や7日間の“ステージ制”で行われ、各日定められた距離を全員で競います。水とテントは支給されますが、食料などは持参して走らなければならず、荷物の“重さ”、50℃近くまで上がる“暑さ”、足が沈み込んでしまう“不整地”と戦いながら、毎日何十キロも走り続ける過酷なレースです。
聞いただけでも恐ろしい世界ですが、井土さんは「砂漠は命の危険がないですからね。熱中症にはなりますけど、動物とかはいないし、山道を走るトレイルレースの方がよっぽど危険ですよ」と笑って話します。
「走るのも嫌いだった」きっかけは会社で出たウォーキング大会
『トレイルランナー』『砂漠ランナー』としての顔を持つ井土さんですが、このような過酷なレースに出場するようになったきっかけは何だったのでしょうか。
「きっかけは2008年に会社のチームで参加した『Oxfam Trail Walker 100km』という大会でした。4人で1チーム組んで、走るというよりは歩く感じかな。チャリティイベントでしたが、これで山の楽しさを知ったんですよね。それまでは全然走るような人ではなかったんですけど、100kmを成し遂げた達成感で『もう1回やりたいな』と思ったんです」
運動経験はほとんどなし。「走るのも嫌いだった」という井土さんは、その後ホノルルマラソンに挑戦するなど、徐々にランニングの楽しさに目覚めていきます。そして2011年に初めて砂漠レースに挑戦。彼女は、なぜ“砂漠”を選んだのか。その理由を伺いました。
「砂漠レースはシャワーもトイレも無いし、そんなの女性ができると思ってなかったんですけど、(タレントの)梅宮アンナさんが挑戦した(2010年)と聞いて、私もやってみたいなと思ったんです」
しかし、実際に走ってみると、“7日間”という日数が彼女を苦しめます。当初の目的は『生きて帰ること』でした。
「1日2000キロカロリー以上の食べ物を持参しなければいけないのですが、2000って少ないですよね? それでも食料だけで3kgくらいの重さになるんです。ナミビアのレースの時は、全部で7kgくらいの重さを背負っていましたが、最初のサハラマラソンの時は11kgもあった。やっぱり最初は心配だから、替えの服とか食料、洗剤なんかも持って行ったかな(笑)。今では考えられないですが、とにかく軽量化よりは『生きて帰る』ということだけを考えていました。でも重すぎて、途中でどんどん必要ないものを捨てていったんですよね。『1週間生きていくために必要なものって、案外少ないんだな……』と実感して、それから4kgも荷物を軽量化できたんです」
42階建ての会社の階段を3往復!? 特殊過ぎる練習内容とは
普段は東京の会社に務める井土さん。仕事と練習の両立はどのようにしているのか。
彼女の練習は『夜明けとともに』始まります。夏は、早い時で朝4時から10~20kmを消化し、住まいの茨城県から秋葉原駅まで電車移動した後、職場まで自転車で通勤(約7km)。勤務が終わると、会社が入っている42階建てのビルの階段を使い、米を詰めた15㎏のバッグを背負って3往復。週に1度、90分かけてこの階段トレーニングを行っているそうです。
「レースは荷物を背負って行いますし、階段は山の練習にもつながります。山を走るにはロードの練習だけでは足りないので、階段がいいなと思ったんですよね。これはすごく効きますよ!」
スピード練習はほとんどしないという井土さんは、その他にも休日は筑波山でトレーニングを実行。標高877mと“低山”に含まれる部類ですが、なんと1度の練習で4往復もするそうです。こうした独自のトレーニングで脚力を鍛え、国内のトレイルレースや海外の砂漠レースなどで結果を残してきた井土さんは、今後アメリカの“あるレース”に出場したいと話してくれました。
「アメリカの『WESTERN STATES』に出たいんです。これは抽選で参加者が決まるので、いつかはぜひ参加してみたいですね」
『WESTERN STATES』は、正式名称『WESTERN STATES 100-MILE ENDURANCE RUN』といい、アメリカで最も古く権威のある100マイルトレイルレースと言われています。世界でも有数な過酷レースとして知られ、完走するのはごくわずか。数々の過酷レースを走破してきた井土さんの向上心をそそらせる大会として、次のターゲットとなっているようです。
「走るのはやめられない!」
最後に、井土さんにとっての“走る理由”について伺いました。
「走る理由ですか? いつも聞かれるんですけど、何て答えたらいいのか迷うんですよね(笑)。走っている時は辛くて『やめたい』と思うんですけど、終わると『非日常』や『達成感』を味わえて、『もうちょっとできるんじゃないかな』と思ったりもする。だから結局やめられないんですよね(笑)。もっと長く走りたいですし、もっと違う景色を味わいたい。ヨーロッパやアメリカなどのいろんなレースに出たいという『好奇心』が、私を止めさせてくれないんです!」
2008年、33歳で走り始めてから9年。彼女の飽くなき向上心はまだまだ満たされていないようです。今日も、明日も、来年も、井土真希は地球上のどこかで走り続けているでしょう。
井土さんは長年『アシックス(asics)』のランニングシューズを愛用しているとのこと。そんなアシックスの中で、人気を博しているシューズがこちら。
松永貴允
1991年生まれ。陸上競技を中心に、主にスポーツの取材・執筆を行う若手フリーライター。小学生の頃からのスポーツ競技経験(野球、陸上競技、ラクロス)を生かし、紙媒体、WEB媒体問わず執筆中。スニーカーは中学時代からVANSひと筋。