「英語が話せない」「飲食経験ゼロ」からイギリスで武者修行。福岡で異彩を放つシェフとアディダス「サンバ」【テラス&ミコー・久保田鎌介】
英語で交差点を意味する「CROSSROAD」。
様々な分野で一直線に邁進するプレイヤーの「ターニングポイント」を振り返る本企画。そのポイントの以前・以後では何が変わったか。そして、変わらずに足元を支えていた“相棒”とも言えるスニーカーについて語る。
「英語が話せない」「飲食経験ゼロ」からイギリスで料理人に
今回、登場するのは、イギリスで出会った様々な国の料理が楽しめるレストラン&パブ「テラス&ミコー」の店主・久保田鎌介さん。福岡市に本店と屋台店の二つを構えているが、連日人と人との交流が生まれ、明るく賑わっている。
久保田さんは福岡県出身で、大学を卒業後、アルバイトから社員となりアパレルの大手企業に就職した。新規出店が加速していたタイミングで久保田さんもその波に乗り、入社後すぐに某店舗の副店長に任命された。しかし、そこでの業務は想像以上に過酷なものだった。
「小屋みたいなところに監禁されて、毎日500本ぐらいズボンの裾上げをさせられました。それで精神的におかしくなってしまって、入社後4ヶ月で退職しました」
退職後、久保田さんはずっと行ってみたかった海外に目を向けた。当時はまだインターネットでの情報が充実していなかったため、旅行ガイドブック「地球の歩き方」を読んで行き先をイギリスの街・プリマスに決めたそう。「福岡の実家の近くにヨットハーバーがあったから、海のある街ならいいところじゃないかなって、安易な気持ちで決めました」と振り返る。
しかし、実際に到着してみると、プリマスは想像以上にデンジャラスシティで、日本人をほとんど見かけない環境だったとか。「英語もまったく話せなかったし、飛行機を降りてタクシーの運転手に行き先を伝えるのも一苦労でした。マジでお前は(プリマスまで)行くのか、とんでもねえ金額になるぞって。15万円しか持ってないのに、5万円も払いました(笑)」
イギリスへはワーキングホリデービザを取得し、ホストファミリーに2ヶ月分の家賃は支払っていた久保田さん。破天荒な行動に驚き心配したお父さんが、知り合いがマネージャーを勤める近くのホテルを紹介した。そこに併設されたレストランでのウエイターが久保田さんの飲食店初経験となる。
「最初は人種差別もされました。英語も喋れないし理解もしてもらえなくて、初めのうちは苦労しましたね」。それでも、徐々に現地のスタッフたちと打ち解け、チームとしての一体感が生まれていった。ある日、従業員同士でパブに行ったとき、地元の住民に差別を受けたが、全員で久保田さんを守ってくれたという。「その瞬間、ようやくコミュニティの一員として受け入れられた気がしました」と久保田さんは語る。
しかし、順調に見えたイギリスでの生活は、家族の事情により1年で終わりを迎えた。「父が体調を崩してしまい、イギリスを離れて日本に戻らざるを得なくなりました。本当はもっといたかったんですけど、仕方なかったです」
帰国後、久保田さんはお父さんが経営していた担々麺屋を引き継ぐことになった。「イギリスのレストランで働いてたんだから、この店もやれるんじゃないか」と言われたそう。カフェブームだったこともあり、坦々麺屋からカフェに業務形態を変えてみたところ、店は経営不振に陥り、3年後には閉店することになってしまった。3,000万円近い負債を抱えた久保田さん。「親不孝通りってところにあったんですけど、本当の親不孝になっちまうって。笑えないですよ(笑)」
家族や兄弟に影響が及ばないように個人再生手続きを行い、借金を元本のみに減らすことに成功したが、それでもその額は約2,000万円に達していた。28歳になろうとしていた久保田さんは、再びイギリスへ向かうことを決断。「イギリスにずっと未練があった」と振り返る。学生ビザを取得し、働ける時間は限られていたが、それでも何とか生活を維持するために複数の飲食店で掛け持ちして働いた。
「12店舗ぐらい色々なところで働きました。皿洗いやホールの仕事、本当に何でもやりましたよ。最初の1週間は、ほとんど何も食べられなかったです。スーパーで1ポンドのピザを買って、それでしばらく生き延びました。でもあるとき、そのピザを見ただけで吐きそうになって、もう体が限界だって感じましたね(笑)」
それでも、イギリス生活後半には芸能人やサッカー選手が毎日来店するような有名レストランで働けるようになり、月収も80万円ほどになった。借金の半分以上をイギリスで返済できたんだそう。その頃には日本懐石で初めてミシュラン一つ星を獲得した「UMU」で魚を捌くまでになっていた。
33歳を前に次の舞台・モナコへのビザを取得するため日本に帰国したが、レストランを経営している知り合いに「月に何度かキッチンに立ってほしい」と頼まれる。すると、すごい数のお客さんが来るようになり、思わず自分でお店を開くことを勧められたんだという。「借金を背負ったトラウマがあるので、すぐに辞められるぐらいの小さなお店ならいいんじゃないかと思いました。そして「テラス&ミコー」が誕生し、すぐに辞めるつもりだったのに今で14年になります(笑)」
イギリス時代から愛用するアディダス「サンバ」
久保田さんがイギリス時代から思い出深いスニーカーは、アディダスの「サンバ」。イギリスにいた頃はずっとサンバを履いていたそう。イギリスのアーティスト・ジャミロクワイに憧れていたこともサンバを愛する理由の一つ。「一番のポイントは履きやすさ。軽くて長時間履いていられます」と語る。
好きなアパレルブランドはsacai。シーズンごとに商品をチェックし、先行予約するほどの熱量に溢れている。「それを買うために生きています。推しみたいな感じですね。アイドルじゃなくて服が推しみたいな」と、久保田さん。
仕事中は仕事着、つまりスニーカーを履く機会が限られているため、どんな靴も上質な状態でストックされていくんだとか。不定期で「とんでもないものをとんでもない値段で出す」フリマを行っている久保田さん。スニーカーはイギリス時代に購入したものが大半。現地で頻繁にあったサンプルセールは、アディダスのスニーカーを中心に信じられないぐらいの安さで手に入れられたという。
テラス&ミコーに来るお客さんも、久保田さんのようにファッションや音楽が好きな人が多い。「次はいつやるんですか」と心待ちにするファンも多いフリマは、単にモノを売る場ではなく、自分の過去の経験や通ってきたカルチャーを共有する場にもなっている。
イギリスと日本、双方で波乱万丈な人生を送ってきた久保田さん。どんなに辛い過去も明るく笑い事のように話す姿が印象的だった。「テラス&ミコー」は美味しい料理だけじゃなく、久保田さん自身が放つ人間的な魅力が多くの人を呼び寄せているのかもしれない。