【街に馴染むあの頃の定番スニーカー】長年憧れたカラーを纏う最高の一足・プーマ『スウェード』
例えば、1990年代ごろの、その昔。僕たち私たちを魅了してやまなかった、あのブランドのあのモデルのスニーカー。カッコよくって光輝いていて、手に入れるために必死に頑張ったっけ。
……と、エモな思い出が蘇ってくる世代も、当時はまだ幼かった若者世代も。
あの頃のスニーカーには、どこか特別な意味がある。だから今もなお愛され、リバイバルするのだろう。
本特集では、そんなスニーカーを愛用している、“kicksラバー”にインタビュー。愛してやまない“あのモデル”について、たっぷりと話を聞きました。
あの頃の定番スニーカー・プーマ『スウェード』の魅力
今回話を聞いたのは、『プーマ(PUMA)』スウェード<SUEDE>を愛用している@azy0912さん。
――生活においてスニーカーとどのようにかかわっていますか?
スニーカーの魅力に惹かれてもう30年近く経ちますが、一貫して変わらないのは時代や世間の流れに全く影響を受けないこと。独自のこだわりを持ってスニーカーを選んでいます。
特定のメーカーやモデルに偏ることがないため、守備範囲はビンテージから最新モデル、パフォーマンスシューズまで様々。5〜600足のスニーカーに囲まれて生活しています。
――購入した理由やキッカケは?
その中でも最近特に目が離せないのがPUMAの『SUEDE』と『CLYDE』です。
この緑色の『SUEDE』は2022年にABC-MART GRAND STAGE別注で販売された『PUMA SUEDE VTG MIJ HC GS』。
1974年に販売されていたサッカートレーニングシューズ『HEYNCKES COMET』のカラーを纏った最高の逸足。個人的に長年憧れ追い求めたビンテージシューズの一つでもあります。GRAND STAGEのイメージカラーのグリーンともリンクさせているそうです。
――お気に入りのポイントは?
先ほど述べたように、長年憧れたシューズのカラーであることもそうですが、もう一つのポイントは「MADE IN JAPAN」であることです。
PUMAは10年以上前から『匠コレクション』として日本製の『JAPAN SUEDE』を作り続けてきました。
言うまでもない品質の良さと履き心地が保証された『JAPAN SUEDE』はある意味、半世紀前に作られたビンテージになる前のスニーカーを、現代において新品の状態で履けることに近いと思っています。
――履く際のコーディネートやスタイリングでこだわっていることは?
スニーカー好きの方に多いと思いますが、服からスニーカーを決めるのではなく、履きたいスニーカーに合わせて服を選ぶ。強いて言うならそこが絶対のこだわりですね。
――kicksラバーになったキッカケは?
初めて自分のお小遣いでスニーカーを買ったのは1994年の中学1年生の時。
当時はスニーカーの知識なんて全く無くて、青が好きだったと言う理由で選んだNIKEの青×黄の『SUEDE』というモデル……そう今回の『PUMA SUEDE』と同じ名前なんです。
スニーカーの知識がつき始めた20代前半に気付いたことがあって。自分が生まれた1981年に販売されていた『INTERNATIONALIST』という、NIKEの名作ランニングシューズがあるのですが、偶然にもその色も“青×黄”のカラーリング。
そこで運命的な何かを感じ、さらにスニーカー熱は加速していきました。
――あなたにとってスニーカーとは?
まさに人生そのものです。購入したスニーカー全てに、購入するまでに苦労した思い出や深い思い入れが詰まっています。
スニーカーだからこそ「共に歩む」という言葉がピッタリと当てはまる……自分にとってはそんな存在です。
――90年代のファッションやスニーカーへの思いを教えてください
ファッション同様にスニーカーもその時代ごとに流行やブームのカタチが出来上がります。
その流れに乗って初めて、スニーカーの魅力に気付く方や、スニーカーの選び方が流行に影響される方も少なくないと思います。
流行やブームの影響から少し目を逸らして、誰かの感性や付加価値でスニーカーを履くのではなく、自分が本当に履きたいと感じるスニーカーを見つける。それができればスニーカーライフがより楽しくなると思います。
あの頃の定番スニーカー・プーマ『スウェード』とは
1968年にトレーニングシューズとして誕生した、50年以上もの時を経てもなおあらゆる世代に愛され続けるプーマの不朽の名作。80年代には数々の有名アーティストたちに愛用され、ヒップホップカルチャーやスケートシーンに欠かせないマストアイテムとして世界中にその名を広めました。スポーツシーンのみならず、ファッションや音楽、アートなどのカルチャーシーンに根付いたモデルです。