気温40度以上・距離217kmの大会、『世界一過酷なウルトラマラソン』に優勝した日本人ランナーってどんな人?
一般的なフルマラソンといえば、42.195kmまでの距離が主流ですが、中にはフルマラソンの距離を超えるウルトラマラソンという超長距離レースも少なくありません。
なかでも、『世界一過酷なウルトラマラソン』と呼ばれているレースが、アメリカのカリフォルニア州に存在します。その名も『Badwater135(バッドウォーター135マイル)』。2017年大会は7月中旬に行われ、なんと日本人が優勝! 一体、どんなところが“世界一”なのか、そして優勝した日本人はどんな人物なのでしょうか。
“世界一暑い街”で飯野航選手が日本人史上初の総合優勝を達成!
レースが行われるのはアメリカ・カリフォルニア州。スタート場所の『バッドウォーター』は、デスヴァレー国立公園の敷地内にある湖で、北アメリカ大陸で最も海抜の低い地点です。そしてデスヴァレーといえば、1913年に56.7度という“世界最高気温”が認定された街。まさに“死の谷”ともいえる場所が、レースのコースとなっています。
ゴールはシエラネバダ山脈にあるホイットニー山で、その道のりは135マイル(217km)。しかも、コースは徐々に起伏が激しくなる設定(累積標高3962m)となっており、これを参加者は『60時間』という制限時間の中で走破しなければなりません。『暑さ』『起伏』『距離』、そのすべてが『世界一過酷』と呼ばれる所以なのです。
その過酷さから、選手はサポート車を1台、サポーターを2名以上(4人まで)つけなければならず、1マイルごとに選手はサポーターの支援を受けることができます。サポーターは主に運転役、ペーサー(伴走)、給水係などに分かれ、様々な面で選手をバックアップします。
日本人によるこれまでの最高成績は、2011年の関家良一さんによる総合2位(24時間49分37秒)、翌年には稲垣寿美恵さんが女子の1位(29時間53分09秒)に輝きました。
そして7月10日~12日に行われた今年の大会では、インド在住の日本人・飯野航選手が見事優勝! 過酷な135マイルの道のりを『24時間56分19秒』で走り切り、栄冠を勝ち取りました。飯野選手は元々、海外の長距離レースに何度も出場しており、過去には『サハラレース ナミビア250km(7日間)』で優勝した経験もあるスーパーランナー。「7年前からずっと出たかった」という念願の出場を、最高のかたちで締めくくりました。
飯野 航 いいの・わたる
1979年生まれ、東京都出身。高校時代は柔道部で、社会人になってから減量目的でランニングを始める。本格的に長距離レースに参戦したのは7年ほど前からで、2011年にはモロッコのサハラマラソン(250㎞)に挑戦。以降、様々な海外極地レースで好成績を収めてきた。現在は仕事の関係でインドに駐在している。
サポート隊とともに駆け抜けた135マイル(217㎞)
レースが始まったのは夜中の23時。まず前半は40マイル(65km)ほど平坦な道が続き、この間はペーサーをつけることが禁止されています。その後、15マイルほど厳しい上りが続き、ここで激しい先頭争いが繰り広げられました。
「すごいデッドヒートでしたね。途中で何度も先頭が入れ替わったんです。今大会には、Badwaterの大会記録保持者が参戦していて、走力ではこの人に敵わない。ならば作戦で勝とうと、あえて団子状態の中で仕掛けてみたんです。そうしたら1人引っかかる人がいまして、僕を追い抜いて突っ走っていったんです。でも結局、中盤以降に失速。あそこで仕掛けてなかったら、団子状態のまま走力で負けていたかもしれません」(飯野選手)
作戦によってレースを優位に運んだ飯野選手は、のちに110マイル地点で先頭を奪取。しかしそこまでの道中も容易ではなく、Badwaterならではの特殊な気候に苦しめられました。現地の気温は常に40度以上。レース2日前には『128F(ファーレンハイト/約53度)』を記録したとか……。さらに夕方以降になると湿気で蒸し暑くなり、「夕方以降の方が暑く感じた」ようです。
「やはり暑さが1番キツかったです。スタート地点は盆地になっているので、熱が逃げない。しかも風が強かったので、熱風に襲われました。湿度も高かったですね」
そんな悪条件で戦う飯野選手を支えたのは、仕事で駐在しているインドでの生活でした。インドは5月が1番暑いシーズンで、45度近くまで気温が上がります。さらに、日本の夏のような湿った気候を併せ持ち、「インドでの生活がなかったら走り切れなかった」と飯野選手は振り返ります。
そして終盤、飯野選手は残り25マイルの地点で先頭の選手を逆転。このままVロードを疾走! といきたいところですが、そう簡単に終わらせてくれないのがBadwaterの難しさです。飯野選手を襲ったのは、ここまで180km近く走ってきた脚の痛みと、先頭を走るプレッシャー、そしてラスト15マイルで待ち構える急激な上り坂でした。
ここまで平地をキロ5~6分で駆け抜けた飯野選手でしたが、上り坂ではキロ8分へとペースダウン。そしてラストの坂ではついに歩き始めてしまいました。
「ちょっと疲れ果てちゃいましたね(笑)。本当は最後まで走り切るつもりだったんですけど、練習も気持ちも足りなかったかな」
しかし、そんな飯野選手を支えたのがサポート隊の3人。アイシング、食事の用意、給水、伴走、後続との距離を伝達するなど、様々な角度から選手を励まし続けました。
「最後の最後まで(自分に)尽くしてくれて、それぞれの役割を果たしてくれた。レース中だけでなく、レース前から準備をしてくれて、本当にありがたいです……!」
そして日付が変わる、夜の0時ごろにフィニッシュ! 最後はサポート隊を含めた4人でゴールテープを切り、抱き合って喜びを分かち合いました。
(フィニッシュ後の様子は以下の動画で確認できます)
「マラソンほど、才能より努力に傾くスポーツはない」
『世界一過酷なウルトラマラソン』を制した飯野選手。一体、何が彼の走りの原動力となっているのでしょうか。その理由を聞いてみました。
「おいしいごはんが食べたいからかな(笑)。たくさん走れば遠くへ行けるし、まずいものもおいしく感じるし。あとランニングは誰でもできるスポーツで、世界どこへ行ってもやっていることですよね。『マラソンほど、才能より努力に傾くスポーツはない』って何かの映画で言っていたのですが、だからきっと走るんでしょうね。なかなか過酷なところに行く人は少ないし、時間がない人、お金がない人もいる。僕が行って伝えることで『こういうところがあるんだ、おもしろいな』と思ってもらえたら非常にうれしいです」
来年は『南極マラソン』に挑戦する計画もあるという飯野選手。「日本に帰ったら、日本版のBadwaterを作ってやろうかな(笑)」とニヤリ。この勢いだと、もしかしたら本当に実現してしまうかもしれません。日本人“極地ランナー”の今後の動向に注目です。
そんな飯野選手は、少しでも軽いシューズで走りたいがために、あえてレディース用のシューズを履いているとか。何でも、男性用と比べて10~15グラムも重量が変わってくるそうです。そこで、軽量タイプのレディースシューズをピックアップしました。
NIKE RUNNING(ナイキランニング) W FLEX 2017 RN ウィメンズ フレックス 2017 ラン 898476-006 SU17 ABC-MART限定 006ANT/PBLA
松永貴允
1991年生まれ。陸上競技を中心に、主にスポーツの取材・執筆を行う若手フリーライター。小学生の頃からのスポーツ競技経験(野球、陸上競技、ラクロス)を生かし、紙媒体、WEB媒体問わず執筆中。スニーカーは中学時代からVANSひと筋。