【街に馴染むあの頃の定番スニーカー】どのコーデもキメるオールマイティな一足・アディダス『スタンスミス』
例えば、1990年代ごろの、その昔。僕たち私たちを魅了してやまなかった、あのブランドのあのモデルのスニーカー。カッコよくって光輝いていて、手に入れるために必死に頑張ったっけ。
……と、エモな思い出が蘇ってくる世代も、当時はまだ幼かった若者世代も。
あの頃のスニーカーには、どこか特別な意味がある。だから今もなお愛され、リバイバルするのだろう。
本特集では、そんなスニーカーを愛用している、“kicksラバー”にインタビュー。愛してやまない“あのモデル”について、たっぷりと話を聞きました。
あの頃の定番スニーカー・アディダス『スタンスミス』の魅力
今回話を聞いたのは、『アディダス(adidas)』のスタンスミス<Stan Smith>を愛用している@mats2122さん。
――生活においてスニーカーとどのようにかかわっていますか?
古着、本、珈琲そして家族を愛する33歳です。基本的に仕事は私服出勤ですので、スニーカーを履く頻度は多い方です。もともと服に関しては収集癖が強かったので、20代ではスニーカーの量も増え続け、実際履いていないものもある状態でした。しかし現在5歳の息子が生まれた事をきっかけに、「服は着てなんぼ、靴も履いてなんぼ」の思いでスニーカーも大幅に断捨離をし、個人的一軍だけが靴箱に収まっています。そして、「一足買えば一足減らす」スタンスを貫いています。
――購入した理由やキッカケは?
ボロでも良いのでオリジナルのスタンスミスが欲しいなと思っていたところ、大学1回生のときに「1980年代のスタンスミスを再現しているモデルという形」で復刻版が発売され、飛び付きました。これを履き潰せばオリジナルに近くなるであろうという期待のもと、15年程経った今ではイイ感じに育っています。
――お気に入りのポイントは?
軽さも含めたチープ感、そして、汚れをエイジングとして許容できるスタンスミスの持つ雰囲気。紐の色味も、たまりません。また個人的にはクタっとなってからが、このスニーカーの始まりのような気がします。
――履く際のコーディネートやスタイリングでこだわっていることは?
服装は基本古着ですが、その中でもボロやキレイ目等どのコーデにもハマってくれるので、オールマイティな一足として手に取る事が多いです。「足元に困ったらこれ!」って感じです。
――kicksラバーになったキッカケは?
中学1年のときに、京都伊勢丹の靴屋にて「コンバースのアメリカ製がラスト1足でした。ラッキーですね!」と女性の店員さんに笑顔で言われたことを未だに覚えています。当時は「はぁ?」とチンプンカンプンでしたが。それから数年経ち、高校1年で古着に目覚め、コンバースのアメリカ製がレアと知った事で、店員さんの言葉の意味を3年越しで理解しました。これを機にコンバース熱が始まり、一時期は20足程所有していました。kicksラバーとなった要因は、一言で表すと「コンバース熱」ですね。ちなみに、当時のコンバースは今でも現役です。
――あなたにとってスニーカーとは?
初心です。小学生のときにナイキのエアプレストを2足履いていました。デザインが気に入って買ってもらったことを、未だに覚えています。当時はエアプレストという名前すら知りませんでしたが……。アパレルの中で最も初めに興味を抱いたものという意味で、「初心」という言葉を選びました。
――90年代のファッションやスニーカーへの思いを教えてください
この時期の名作と呼ばれるスニーカー達に憧れを抱いたことはもちろんありますし、最近は古着屋へ行ってもこれらの年代の商品の値上がりが顕著で需要の高まりを強く感じます。ですが個人的には年代に関係なく直感で「着てみたい!履いてみたい!」と思える物を手に取っています。ちなみに、自分は1990年生まれですので、コピーライトがこの年のTシャツなど、即買いしてしまいます。服も靴もある意味自己満の世界ですので、今後も自身の気分が上がるものを身に付けていきたいと思います。
あの頃の定番スニーカー・アディダス『スタンスミス』とは
名テニスプレイヤーであるスタン・スミスの名を冠した、アディダスを代表するモデル。ファーストモデルは、1973年に登場。つややかなレザー素材、タンに描かれたスタン・スミスの肖像画、ヒールにあしらわれるグリーンの配色、通気孔で表現したアディダスを象徴するスリーストライプスが特徴。無駄のないデザインは、定番かつ万能。長い間愛されています。