壱岐島の港町にナポリの風。ビブグルマンを獲得ピッツァ職人の足元はコンバースの「ローカット」スニーカー
長崎県・壱岐島。 博多港から高速船で約1時間。美しい海と歴史遺産に囲まれたこの島の北東部、芦辺浦(あしべうら)の港町に、一軒のピッツァリアがある。
店の名前は「Potto(ポット)」。
温かみのある空間には、本場ナポリから船で運ばれてきた薪窯が鎮座する。ここで焼かれるピッツァは、地元の人々はもちろん、遠方からの旅人をも魅了し、『ミシュランガイド福岡・佐賀・長崎 2019 特別版』では、良質な食を手頃な価格で提供する店として「ビブグルマン」にも選出された。

オーナーシェフの平山氏は、この場所で祖父の代から続く建物を守り、飲食業としては2代目となる。 一度は島を離れながらも、なぜ故郷に戻り、薪窯ピッツァという新たな文化を根付かせることができたのか。その人生の岐路(CROSSROAD)と、彼の挑戦を支え続ける「相棒」について話を伺った。
29歳の決断。ナポリから船で運んだ「情熱」
平山氏の実家は、もともと父が洋風居酒屋を営んでいた。「パスタ」ではなく「スパゲッティ」が主流だった昭和の時代から、いち早く洋食文化を島に取り入れてきた父の背中を見て育った。
高校卒業後、一度は福岡へ出たものの、21歳の時にUターンを決意する。
「小さな頃から飲食業を生業とする両親の背中を見て育ったので、料理は好きでした」

転機が訪れたのは29歳の時。 「島にかっこいいピッツァリアを作りたい」。そんな漠然とした憧れが、現実のプロジェクトへと変わる。父から「好きなようにやれ」と背中を押され、店を全面リニューアル。そして、最大の決断を下す。それは、イタリア・ナポリから巨大な薪窯を輸入することだった。
「揺らぐ炎や、薪の香り、そして生地の状態を肌で感じながら焼く職人技は、ガスや電気では決して出せない魅力があるんです」

その覚悟は、数年後、予期せぬ形で報われることになる。ある日、スーツ姿の男性が一人でふらりと来店した。 「食材のことやこだわりを熱心に聞かれました。後で分かったんですが、それがミシュランの調査員だったんです」
島の野菜や、形は不揃いでも味は確かな地元食材を使い、90秒の炎の芸術に昇華させる。その実直な仕事が、世界的な評価へとつながった瞬間だった。

青春のHIP HOPと、旅の相棒。「コンバース オールスター」
そんな平山氏の足元を、20年近く支え続けているスニーカーがある。 『コンバース(CONVERSE)』オールスター<ALL STAR>のローカットモデルだ。

「高校時代、福岡でブラックミュージックに出会ったんです。当時好きだったWEST COAST HIPHOPのアーティストたちが、こぞってコンバースを履いていた。そのクールさに憧れて履き始めたのが最初ですね」
それ以来、彼の人生の節目には常にこのスニーカーがあった。 中でも忘れられないのが、Pottoをオープンした翌年、本場の味を知るために旅立ったナポリへの一人旅だ。
「初めての海外一人旅で、言葉も分からない、Wi-Fiもない、クレジットカードもなぜか使えない(笑)。そんな状況で、ひたすらナポリの街を歩き回って、毎日ピッツァを食べ続けました。その時も、足元はコンバースでしたね」

石畳の路地、陽気なイタリア人、そして本場の熱気。 不安と興奮が入り混じった旅の記憶は、履き慣れたキャンバス地の感触とともに、今も鮮明に残っている。
「粉」と共に生きる、職人のスタイル
現在、平山氏は仕事用とプライベート用で、常に2足のオールスターを所有しているという。
「ピッツァ職人って、どうしても靴が粉まみれになるんです。紐の間に入り込んだ小麦粉はなかなか取れない。だから1〜2年履き倒しては、また新しいものを買い直す。そのサイクルが僕の日常になっています」

仕事場では、デニムに白いソックス、そしてローカットのコンバース。 ハイカットではなく、あえてローカットを選ぶのが平山流だ。
「昔はハイカットも履きましたが、今はローカットの抜け感がしっくりくるんです。動きやすいし、小回りも効く。何より、デニムの裾からチラッと見えるソックスとのバランスが好きなんですよね」
インタビューの日、使い込まれたコンバースには、うっすらと白い粉がついていた。それは汚れではなく、彼が日々、炎と向き合い、生地と格闘している証(あかし)のように見えた。
「やっぱり、これが一番落ち着くんですよ」

ナポリの風を島に運び、今日も窯の前に立つ。 その足元には、変わらないスタイルと、職人の誇りが宿っている。


